ニュージーランドで小さい赤ちゃんを産みました

初めての赤ちゃんを高齢で妊娠・出産しました。premature baby で生まれた赤ちゃん記録です。

順調に

助産婦さんのサポートが終わった2週間後には病院からの看護師さんの訪問も終わるなど、赤ちゃんはその後何のトラブルもなく、順調に成長して行きました。プランケットの看護師さんと病院からの看護師さんのサポートにそれほど違いはなかったですが、病院からの看護師さんの方が低体重の赤ちゃんに慣れているようで、ある意味細かいサポートを’受けることが出来たと思います。特に粉ミルクの缶に指示しているミルクの量など全然飲むことが出来なかったので体重に合わせたミルクの量、そして最後の訪問にはソリッドについての話も受け、低体重のため離乳食は5か月以降そしてそれについての情報を提供してもらえました。今後なにか問題があれば病院のチームに連絡して良いなど親切で、最後の面談の後、便秘についての相談を電話した時にすぐに対応してくれました。

2人目の赤ちゃん

助産婦さんからは帝王切開の傷が治るまでに時間がかかるという事で1年間は妊娠しないようにとコンドームの処方箋をくれました。
一人目が生まれたばかりで二人目の事などこの時は考えていませんでしたが、彼女が次の妊娠・出産もサポートもしてくれると言ってくれました。その時には妊娠中期からアスピリンを飲むことにより血行を良くするという事と妊娠中は産科医に会うように手配するとの事でした。結局最後まで何故赤ちゃんの成長が途中で止まってしまったのか分からなかったので、次の妊娠で専門の先生に会えるというのは心強いと思いました。
助産婦さんとの最後の面談で彼女が私の赤ちゃんの写真を取りたいと言われたので、赤ちゃんが生まれて100日の時に彼女にその時の写真を送ったら とても喜んでくれたみたいでその写真を彼女のオフィスにプリントして置いてくれるとの返事がきました。
助産婦さんは若くていつも明るいだけでなく、やると言ったことはすぐにやってくれる人で先の事はわからないけど もしまた妊娠する機会があればお願いするだろうなあと思わせてくれる素敵な方でした。

助産婦さんの言葉

助産婦さんには赤ちゃんが退院してから2週間程度お世話になりました。仕事とは言え彼女は赤ちゃんが入院中も定期的に私に会いに来てくれ、何か私に不明なところがあると きちんとSCBUの看護師さん達と話してくれる頼りになる助産婦でした。いつも彼女は私のためのサポートだと言い、母乳に関しても色々気にかけてくれていました。
赤ちゃんの退院後、今まで通りに3-4時間ごとの搾乳を続けましたが一日に十分なミルクが出なかったので粉ミルクが主という状態でした。この時、赤ちゃんが’病院に居るときに飲み始めた飲み薬はラクテーション コンサルサントのアドバイスに従い薬をやめるために少しずつ飲む量を減らしていました。
赤ちゃんが退院した時は、赤ちゃんと過ごす時間が増えたら母乳が’増えるかもしれないと期待していましたが あまり効果が見られず今後このままの状態で続けるべきかと何度も考えました。初めの5週間に出来るだけの事はやったつもりでいたので 精神的に母乳疲れになっていたと思います。
助産婦さんの最後の訪問時に、いつものように母乳の話になり 私が今後 母乳を続けるか迷っていると言う話をしました。助産婦さんはその言葉を聞いて 私がどれだけ今まで母乳のために頑張ってきたか、そして赤ちゃんは人生の最初の2か月に母乳を飲むことが出来たことで、もし私が母乳を止めても罪悪感を感じる必要はないと言ってくれました。彼女の言葉を聞いたとき、今まで頭の奥に突っかかっていた物が取れた気がしました。おそらく誰かに自分が今まで頑張ってきたことを認めてもらいたかったのかもしれません。そして誰かに粉ミルクだけでも良いと言われる事を待っていたのもあります。今までどれだけ母乳が赤ちゃんにとって大切かという話しか聞いてなく、粉ミルクを赤ちゃんに与えていたにも関わらず完全に粉ミルクに変えるのというオプションは無いような気がしていたからです。助産婦さんとの最後の会話で 母乳が自分にとって思っていた以上負担になっていた事に気がつき、これを機に母乳を止めるこという判断につくことが出来ました。